○ 好奇心が強く新しいモノ・コトを探求する意欲が高い
○飽きっぽい性格で新しいチャレンジを求める
○活動的な環境(*)で能力を発揮し、新しい環境に適応していくことを楽しむ
*
英語で「活動的」を意味する単語は〈dynamic〉です。〈static〉はその反対の「静的、変化がない」などを意味します。活動的な環境〈dynamic situation〉とは静的で変化がない環境〈static situation〉とは逆なので、「変化が活発に起きる環境」と言えるでしょう。
ボクの妻の場合、この3つの項目を見ただけで「完全完璧大正解!!」と思えるほどにマルチ・ポテンシャライトの特徴を備えています。
しかしこれだけだと抽象的すぎるかもしれないので、もう少し具体的な特徴を挙げます。
○ 物事が長続きしない人
○ 熱しやすく冷めやすい人(一定の間はかなり没頭するがパタっと熱が冷める)
○ 短期間で興味の対象がコロコロと移ったことがある人
○ 移り変わる興味の対象が幅広い人(全く別分野への興味が突然芽生えたり)
○ やりたいことをひとつに絞れない人
上記の特徴が当てはまる人はマルチ・ポテンシャライトの素質を持っているかもしれません。
マルチ・ポテンシャライトであること
さて、では仮にアナタがマルチ・ポテンシャライトだったとして、それが一体なんなのか。
まずは、この言葉の生みの親であるエミリーについて少し説明します。
彼女はコミュニティサイト【Puttylike】の創設者兼クリエイティブディレクターで、サイトを通し、マルチ・ポテンシャライトの人たちが自分の持つすべての興味関心を活かして充実したキャリアや人生を築けるようサポートしています。
TEDで一躍有名になって本を出版するなど、現在のエミリーは順風満帆な人生を送っているように見えます。しかし、彼女はこれまでマルチ・ポテンシャライトであることに悩んできました。
あるモノに興味が湧き、それに没頭する
↓
しかしすぐに飽きてしまう
↓
そしてまた別のモノに興味が湧き、今度はそれに没頭する
(時間と労力だけでなく時にはお金もつぎ込む)
↓
しかしまたすぐに飽きてしまい、別のモノに没頭する
何かに没頭しては飽き、また別の何かに没頭しては飽き、「探していたものこれだったんだ!」と思えるほど感動的な出会いがあってもまた飽きてしまう。
彼女はこのマルチ・ポテンシャライトに特徴的なパターンに気付いたとき、大きな不安に駆られました。その主な理由は次の2つ。
自分が関わってきた物事とキャリアとの結びつけ方がわからない
一つの物事を継続できない自分は何かがおかしいのではないか
つまり【仕事】と【アイデンティティ】に関する悩みです。
生きていくためには生活に必要なお金を生み出す仕事をする必要がある。でもだからと言って自分が自分であること-さまざまなモノ・コトに対して芽生える情熱-に疑問を持ちながら生きていくことはしんどいです。
ではなぜ【さまざまなモノ・コトに興味を持って関わること】が不安の種になってしまうのか。自分は何か間違っているんじゃないか、とか普通とは違うんじゃないかなんて思ってしまうその原因はどこから来るのか。
エミリーは、この社会で共有されている文化=何か一つのモノ・コトに取り組むことが普通とされ、かつ称賛に値することでもある文化から来ていると言います。
冒頭の質問を思い出しても同じようなことが言えそうです。
「大人になったら何になりたい?」
「宇宙飛行士とギタリストとコックさん!」
この純粋な情熱を全肯定できる人がはたしてどれくらいいるのだろうか。
「全部は難しいからひとつに決めないとねぇ」とか「じゃあその中でいちばんなりたいものは何かな?」などと返さない人がどれくらいいるのだろうか。
仮に自分が小さな子どもからこのように言われたとき、寸分の迷いも間もなく「いいね!じゃあどうやったらなれるかね」などと返せるだろうかと考えると、無理かもしれません。
ボクにも1つのモノ・コトを選ばなきゃいけないという考えが染みついているように思えるし、それはなぜかと考えると、今の世の中では【何か一つのモノ・コトを継続すること】は称賛の対象であるだけなく、求められ、時には過剰に美化されているからだと思います。
本来ならば何か1つのモノ・コトを継続しようが、5つの違うモノ・コトに同時並行で関わってようが、そんなのどっちだっていいわけです。しかし実際のところは、関わるモノ・コトがコロコロ変わる人より何か1つを継続している人に好印象を抱く人の数は多いでしょう。
これは、後者の方が今の社会で求められている基準のようなもの(今回の場合1つのモノ・コトを継続している「状態」と言える)に寄っているからなのだと思います。
だから逆に、たとえば仕事を何度も変える人に対してほとんど無意識的に、しっかりしてない人という印象を持ったり、理由や背景を全く尋ねることもなく「そろそろ落ち着きなよ」と言ったりする人が存在するのです。
ただこの基準のようなものは、漠然と存在しているというわけでもなく、実際に現代社会の中で生きること=お金を稼ぐことを考えたとき、確かに合理的で有利に働きます。
何か1つを継続し極めることでたどり着く先は、プロフェッショナルという立ち位置です。そして多くの場合、どんな業界においても、プロフェッショナルであることは高く評価されます。
2013年には同じくTEDでアンジェラ・リー・ダックワースが【GRIT=やり抜く力】について語り、当時大きな反響を呼びました。
彼女は、人を成功に導くカギは【GRIT=やり抜く力】を持って物事を継続することだと語っています。
もちろん、何か1つの物事を継続していることそれ自体は-他の多くの人ができないことかもしれないという意味で-尊敬に値すると思うし、その「何か」は時間とともに磨きあげられ、いつしか自分はプロフェッショナルと呼ばれるステージに立っているかもしれず、それもすばらしいことです。
でも、相対的すぎるなとも思います。自分とそれ以外とを比べた上で生まれる評価を気にしなければならない世界に生きるのはしんどいです。
「まあね、でもそういうもんなのよ」と世の中理解しています面で上から言われたとて、しんどいもんはしんどいのです。
自分の人生なのでもう少し絶対的な思考を持って生きていくことが許されてもいいはずだよねぇ、なんてね、思います。
マルチポテンシャライトの働き方
マルチ・ポテンシャライトの働き方には4つのタイプがあります。
1. グループハグ・アプローチ
グループハグ・アプローチの特徴は一つのグループの中で複数の役割を果たすこと。
たとえば、営業の仕事をしながらウェブサイト制作にも関わる、マーケティング部門で市場調査を行う傍ら週に1回のSNS投稿を担当など。
スタートアップやベンチャー・中小企業など少人数体制の企業では自然とこのような状況になっていることもあるかもしれません。
2. スプラッシュ・アプローチ
スプラッシュ・アプローチの特徴は日常的にいくつかの分野のモノ・コトに関わること。
たとえばフリーランスのシェフ(オランダにはけっこういるらしい)が1週間のうち2日レストランで働き、1日は料理教室を開き、週末はイベントに出店など。
働く時間や場所、取引先などがフレキシブルなノマドワーカーと呼ばれる人の働き方がこれに近いのかなと。また、いくつかのバイトを掛け持ちしている人もスプラッシュ・アプローチの働き方をしていると思います。
3. アインシュタイン・アプローチ
アインシュタイン・アプローチの特徴は生活に必要なお金を仕事で得つつそれ以外の時間に自分の情熱を捧げること。
仕事はお金のためと割りきり、それ以外の時間に自分の好きなことをするといった感じで仕事と好きなこととの線引きがはっきりしています。
アインシュタイン・アプローチという名前の由来は、天才物理学者として知られるアインシュタインが実際、数学の臨時教員やスイス特許局で公務員として働きながら仕事以外の時間を物理学に捧げていたことから来ています。
ちなみに、これまでオランダで出会った人たちの中にはアインシュタイン・アプローチの働き方をしている人がたくさんいました。
小学校の教員でありながらオーダーメイドのケーキを販売している人、平日は飲食店で働き週末はイベントでハンドメイドアクセサリーを販売している人などなど。
今や日本でも終身雇用の伝統はなくなりつつありますが、オランダでは長い間ずっと同じ企業に勤めるという考えを持っている人の数がそもそも少ない気がします。
日本と同じく世代間にギャップがあり、50〜60代の中にはそういう人もいると聞きましたが、特に若い世代(20〜30代)では仕事と全く関係ない分野のモノ・コトに時間と情熱を捧げている人が多いです。
ボクが住んでいるロッテルダムにはアートの町とも呼ばれアーティストの数が多いので、土地柄も関係しているかもしれません。
仕事も転々とするし、仕事の傍らで自分の好きなことにちゃんと時間も割くし、といった感じです。
4. フェニックス・アプローチ
フェニックス・アプローチの特徴は中・長期単位でキャリアの方向転換をすること。
ほかの3つのアプローチは少なくとも2つの異なるモノ・コトに同時並行的に関わっています。その点、フェニックス・アプローチでは一定の期間は1つのモノ・コトに関わります。
そして一定の期間を経るとそれまでとは全く別分野へと進み、新たなキャリアをスタートさせます。
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